Q約聖書(死海文書)

インターネットの人の詩と小説

働く人

 働いている。生活を続けていくために、毎日12時間以上労働をして、毎月20万円ほどの給料をもらっている。でも、その給料も、家賃や光熱費や税金やその他色々の支払いであっという間に半分以上が消える。そこから生活費を差し引いたら、残る金額なんて笑ってしまうくらい少ない。その残った何分の一かの給料で、本や音楽や映画や美術を鑑賞する。週に2日の休日だけを楽しみに、平日に労働をする。平日、休日、平日、休日……。そして、また給料日がやって来る。エト・セトラ。

 いまの仕事にやりがいを感じたことは一度もない。セールス業なので一応ノルマはある。しかし、ノルマをクリアしたからといって(あるいはクリアしなかったからといって)、特に給料が上下するというわけでもないので、会社での評価に影響を及ぼさない程度に顧客に売るべきものを売り、買わせるべきものを買わせている。もう10年以上この仕事を続けているから、セールスという仕事に善悪の概念を持ち込むこともない。大学を卒業して就職したてのころは、顧客に商品を売るためにセールストークをしなければならないことが嫌で仕方なかった。でも、仕事をしているうちにそのような抵抗感も薄れていった。ナチス・ドイツのアドルフ・アイヒマンではないけれど、いまでは会社というシステムに要求されたことをそのままやっているだけだ。そこに善悪の概念を持ち込むスペースはない。

 平日は会社とアパートを往復するだけの日々だ。朝早くの電車に乗って都心のオフィスまで行き、また夜遅くの電車に乗って郊外のアパートに帰ってくる。休日はおもに一人で過ごしている。配偶者どころか恋人もいないし、友人だって一人もいない。犬や猫を飼う気にもなれない。だから休日は家にいるにしろ、外に出かけるにしろ、一人で過ごすことになる。それでも20代のころは都会に出かけて遊ぶ余裕があったが、30代になってからは休日は家で過ごすようになってしまった。今日も休日だが、どこに出かける予定もない。朝が過ぎ、昼が過ぎ、夜が過ぎ、また平日の朝がやって来るのだろう。

 先ほど自殺をしようとして失敗した。次は成功することを祈る。

22世紀のみなさんへ(21世紀の詩人より)

21世紀にもなって

いまだに詩なんか読んでる

インターネットに接続すれば

世界のすべてを検索できるのに

 

ギリシャやローマのエピグラムを読む

フランス象徴派を読む

アメリカのビートニクを読む

日本の俳句を読む

 

21世紀にもなって

いまだに詩なんか書いてる

小説や音楽や映画や絵画や

コミックやアニメーションでもクリエートできるのに

 

リチャードみたいに

賢治みたいに

難解な言語など使うことなく

簡単な言葉だけで詩を書きたい

 

22世紀のみなさん宛てに

ある孤独な男と女が衛星のようにすれ違う

 ある孤独な男がいた。その男がどれくらい孤独だったかというと、宇宙を漂流し続ける鉄くずみたいに孤独だった。赤ん坊のころに施設へ預けられ、親の顔も知らないまま孤児として育ち、やがて完璧に孤独な大人になった。友人も恋人もいなければ、犬や猫を飼ってもいなかった。会社へ行って働いているときにも、業務に関することがら以外には誰とも会話を交わさなかった。何人かの女性と関係を持ちそうになったことはあったが、いつでもどこかで何かしらが損なわれて相手とはそれきり疎遠になってしまった。休日には一人で美術館へ行き、こころゆくまで愛する画家たちの絵画を眺めてまわった。完璧なまでに一人ぼっちだった。

 ある孤独な女がいた。女もまた、宇宙を漂う鉄くずのように孤独だった。まだ小さいころに、父親と母親が無理心中をして女だけが生きのこった。親戚中をたらい回しにされ、ようやく受け入れてくれた家庭でもつねに自分は疎外されていると思いながら育った。女は数えきれないくらいの男性と寝た。援助交際に始まり、風俗やソープやデリヘルといったような仕事をしながら生活のための金銭を稼いできた。旅行だけがただ一つの趣味だった。貯金をしては国内外の色々な場所へ旅行に行った。しかし、いつまでもそんな暮らしを続けていくことはできない。女は去年の年末に突然仕事を辞めた。連絡も何もしなかった。もはや疲れているのかどうかもわからないくらい、この短いようで長すぎる人生に疲れていた。

 (そして)ある春先の週末、男と女は坂道ですれ違う。

 坂道を上がってくるのが男で、坂道を下ってくるのが女だ。男はフランシス・ベーコンの回顧展へ行ってきたところで、女は北欧旅行へ出発するために空港へ行くところだった。男は女性が坂道を下ってくることに気づいた。女も男性が坂道を上がってくることに気づいた。二人はそのまますれ違った。恋に落ちるなどということは全くなかった。会話を交わすことさえしなかった。

 すれ違った直後、男は何を思ったのか後ろを振り向いた。坂道を下っていく女の姿が一瞬ごとに遠くなっていく。

 女は振り返らなかった。男は前を向き、坂道を一歩一歩上っていった。

私について私が知っているいくつかの事柄

私は私で

私以外の何者でもなく

私以外の何者でもある

匿名希望の不特定多数


私が「私」と言うときは

代替不可な自分自身と

代替可能な自分自身が

同時多発的に出現/消滅していて


私はどこまで私か

というアイデンティティの問答を超え

目や耳や鼻や唇や

国籍や人種や性別や姓名を超え


私は誰かで

誰でも私

私は私(たち)で

私(たち)が私


私とは