Q約聖書(死海文書)

インターネットの人の詩と小説

ある孤独な男と女が衛星のようにすれ違う

 ある孤独な男がいた。その男がどれくらい孤独だったかというと、宇宙を漂流し続ける鉄くずみたいに孤独だった。赤ん坊のころに施設へ預けられ、親の顔も知らないまま孤児として育ち、やがて完璧に孤独な大人になった。友人も恋人もいなければ、犬や猫を飼ってもいなかった。会社へ行って働いているときにも、業務に関することがら以外には誰とも会話を交わさなかった。何人かの女性と関係を持ちそうになったことはあったが、いつでもどこかで何かしらが損なわれて相手とはそれきり疎遠になってしまった。休日には一人で美術館へ行き、こころゆくまで愛する画家たちの絵画を眺めてまわった。完璧なまでに一人ぼっちだった。

 ある孤独な女がいた。女もまた、宇宙を漂う鉄くずのように孤独だった。まだ小さいころに、父親と母親が無理心中をして女だけが生きのこった。親戚中をたらい回しにされ、ようやく受け入れてくれた家庭でもつねに自分は疎外されていると思いながら育った。女は数えきれないくらいの男性と寝た。援助交際に始まり、風俗やソープやデリヘルといったような仕事をしながら生活のための金銭を稼いできた。旅行だけがただ一つの趣味だった。貯金をしては国内外の色々な場所へ旅行に行った。しかし、いつまでもそんな暮らしを続けていくことはできない。女は去年の年末に突然仕事を辞めた。連絡も何もしなかった。もはや疲れているのかどうかもわからないくらい、この短いようで長すぎる人生に疲れていた。

 (そして)ある春先の週末、男と女は坂道ですれ違う。

 坂道を上がってくるのが男で、坂道を下ってくるのが女だ。男はフランシス・ベーコンの回顧展へ行ってきたところで、女は北欧旅行へ出発するために空港へ行くところだった。男は女性が坂道を下ってくることに気づいた。女も男性が坂道を上がってくることに気づいた。二人はそのまますれ違った。恋に落ちるなどということは全くなかった。会話を交わすことさえしなかった。

 すれ違った直後、男は何を思ったのか後ろを振り向いた。坂道を下っていく女の姿が一瞬ごとに遠くなっていく。

 女は振り返らなかった。男は前を向き、坂道を一歩一歩上っていった。